年表
97年、鳥取に生まれる
01年、9.11同時多発テロが起きる
04年、小学校入学
06年、小泉純一郎が退陣し、短命政権の乱立が始まる
08年、秋葉原連続通り魔事件が発生
08年、日本生まれの研究者4人がノーベル賞を受賞する
10年、中学校入学
11年、東日本大震災が起きる
13年、高校入学
16年、上京・大学入学
16年、相模原障害者施設殺傷事件が発生
おおきな問い
1990年代初め、バブル経済の崩壊を契機に「失われた30年」が始まりました。1997年11月には、北海道拓殖銀行や山一証券が破綻しています。
1993年に環境基本法が、2003年には「環境の保全のための意欲の増進及び環境教育の推進に関する法律」が制定されました。以降、学校教育には環境問題を教えることが組み込まれました。
2006年、5年続いた小泉政権が終わり、1年ごとに首相が変わる時代が始まりました。これは2008年のリーマンショック、民主党政権時代を経て、第二次安倍内閣が発足するまで6年間続きます。
以上が、私が生まれてから物心つく頃までの日本社会です。私は高度経済成長もバブルも知りません。「会社に尽くしていれば豊かになれる」というジャパニーズ・ドリームはすでに跡形もないですし、銀行も頼りにならないのでお金をどこに預ければいいかすら分かりません。政治に目を向けると、つい先日発足したばかりの内閣がまた退陣を表明しています。それなのに、どうやらこの星では「温暖化」や「海洋汚染」、「化石燃料の枯渇」など小学生には想像できない規模の問題が起こっているらしいと社会の授業では聞きますし、テレビでは「無敵の人」による異常な殺人事件が熱心に報道されています。これが、私が生まれてから物心つく頃までに肌で感じてきた日本社会です。
私が知っている「社会」とは、常に夢よりも問題が多いところです。それも、1人の力では到底どうしようもないような問題、です。周りの大人は「政治がダメだ」「社会のシステムがダメだ」と言います。どこを探しても、その解決を担えるようなヒーロー、もといリーダーはいないようです。
増殖・深刻化しつづける社会全体の問題に対して、私たち個人はどうアプローチできるのか。これが、私が物心ついて以来抱えている問いです。個人から社会にアプローチできる回路をどうにか増せないか、とも言い換えられます。それも、選挙や労働など、既存の政治・経済のシステムではない可能性を探しています。参考になる昔の事例には、革命や社会運動があるでしょう。それを現代にリバイブさせるのであればどういう形になるのか探っている、とも言えるかもしれません。
関心
ここまでを読むと、私が陰鬱な気持ちで生きている人間かのように思われるかもしれませんが違います。何度も述べている通り「問題だらけ」は日常ですし、夢亡き時代とはいえ、この状況を改革できることを夢として追ってみたいと、面白がって生きています。多分、想像よりもハッピーです。私の詳しい関心ごとについては、関心のページをご覧ください。
私にできること
****準備中****